フロイスの見た戦国日本/川崎桃太(2006年2月25日初版)
続・フロイスの見た戦国日本/川崎桃太(2012年12月20日初版)

ルイス・フロイスは、1563年にインド経由で布教のために来日したポルトガル人宣教師である。信長、秀吉とも交流しながら、秀吉の死ぬ1年前、1597年に日本で亡くなった。

フロイスは日本での布教の活動を「日本史」に記した。これは1549年から1593年までの日本におけるイエズス会の布教の歴史を克明に記録したもので16世紀の日本を知る上での貴重な史料となっている。好奇心が強く観察力の鋭いフロイスによって布教の記録だけでなく、16世紀の日本の風俗、文化、芸術、政治が生々しく描かれているそうだ。

この写本にリスボンの王宮図書館で運命的に出会った京都外語大の川崎桃太名誉教授が1980年に翻訳をして「完訳日本史」全12巻で出版した。文庫版も中公文庫より全12巻出版されている。

今回読んだこの2冊の本は、そのダイジェスト版ともいえるもの。後の世に脚色されて描かれる戦国時代の物語りとは違うリアリティがある戦国時代の描写はたいへん興味深い。

その中から印象に残ったいくつかを引用する。

信長について
「ある時、離れた現場の一角で、一人の兵士が通りがかりの婦人に軽く戯れた。信長の眼がそれを見逃すはずはなかった。突如、疾風のように駆け下りると、一刀のもとにその兵士の首を刎ねた。」
信長は獅子のように怖れられていたそうで、上意下達が徹底していた。
「手でちょっと合図をするだけでも、彼らはきわめて兇暴な獅子の前から逃れるように、重なり合うようにしてただちに消え去りました。」

秀吉について
秀吉は、妾を300人も抱えていたのでフロイスは信長とは違って良く思っていない。しかし秀次に関白職を譲ったときに与えた教訓は現代のリーダーにも通じるものだ。
「第一、家臣に対しては、柔和、愛情、憐憫をもって臨むように心がけること。第二、人を遇するにあたっては、真実と誠意をもってし、己れに対しては、実直、清廉、潔白を旨とすべきこと。第三、職務の重大さと権威にかんがみ、円熟さと威厳を保つべき身の面目を損なうような軽率を戒むべきこと。第四、武技に励み、かつ精通し、いったん緩急あらば、予のごとく、きわめて打倒することが困難であり緊急を要する敵との合戦においても、勇猛果敢な大将として臨み、勇気あり大胆な戦士として畏敬されるように心がけよ」
そして、見習うべきではない事として、
「予には幾つかの悪癖があり、(中略)その一は、一種の軽率さであり、予自らそれを感じている。その二は、予が遊楽のために、種々の場所に多数の女たちを囲っていることである。(中略)これりはこの関白という高い位にある者としてはふさわしくないことである」
秀吉の人間味を感じた。

日本人についての描写には、現代の日本人の特性が16世紀から続いていることを気付かせる。
「日本人の慎み深さと躾の良さは天性のもの。」
「日本人は本性、優しく、多感な心の持主だからである。」
「日本人は、未知の人を通常、その外観や服装だけで評定する。」
「日本人は一般に秘密を守るということだはあまり信用のおけぬ国民」

婦人の堕胎の描写は、現代とは違う戦国時代の野蛮さを認識する。
「堺の市(まち)は大きく人口が、稠密なので、朝方、海岸や濠に沿って歩いて行くと、いくたびとなくそこに捨てられている(堕胎した)子供たちを見受けることがある。(中略)そうすると通常は犬が来てそれらを食べるのである。」

最近歴史が面白くなってきた。この機会に「日本史」全12巻も読破したいと思う。