発想するリーダー宣言!

リーダーシップ、ライフハック(仕事術)、Webマーケティングをつづるkurakakeyaのライフログ

カテゴリ : 経歴を語る

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高校の同窓会があった。還暦の歳なので200人が集まった。最初は誰が誰だかわからない。受付で名札を渡されて、みんな首から下げている。名札を見て確認をしあう。1976年卒なので41年ぶりだ。それでも何人かすぐわかる人がいる。見た目がほとんど変わらない。まったく変わってしまって思い出せない人もいる。それでも話してみると思い出す。見た目が変わっても声はあまり変わらないのだ。悲しいことに、1クラスに3〜4人は亡くなっている。何人かは連絡が取れず、行方不明。

話していると昔の思い出が蘇る。記憶が人によって大きく違う。話し相手はよく覚えていても自分はまったく覚えていない話。自分がよく覚えていても相手はぜんぜん覚えていない話。人の記憶なんてそんなものなんだな。そんなことあったっけとか、そうだそうだとか盛り上がる。男子からも女子からも、君付けで呼ばれるのが新鮮だ。

話していると友人たちの性格はあまり変わっていないなぁと感じる。見た目は変わっても学生のころの雰囲気はけっこうそのままだ。目立っていた人はやはり目立っている。おとなしかった人はおとなしい。話しぶりは昔のままだ。

見た目は歳をとったけど、気持ちは学生時代に戻った。若返った感じがする。あの頃のワクワク感が蘇る。ときめいていた人と会話すると照れてしまう。同窓会は人を若返らせるかもしれない。それでも、40年の時はたった。卒業してからそれぞれの40年の人生がある。それぞれの人生がどんなものだったのだろうかと興味深く思う。

中二のとき医者の息子と学校をさぼってタクシーで、初めて名画座に行き、見た映画が「いちご白書」と「Let It Be」だった。

リベラルに憧れていた僕は「いちご白書」に涙してジョン・レノンの「Give Peace A Chance」に感激した。それに反して「Let It Be」は退屈な映画だった。長髪もロックも不良の象徴だった。

中三のとき突然Beatlesに目覚めた。初めて買ったLPは「Rubber Soul」だった。初恋の少女に「Michelle」を重ねた。こづかいの少なかった僕はお年玉でステレオカセットデッキを買い、友達からBeatlesを借りて録音した。「Let It Be」にレコードで再会した。感動した。部屋にBeatlesのポスターを貼った。髪を伸ばした。

レコードプレイヤーが壊れても、捨てられなかったLPレコードを引越のために泣く泣く処分した。Beatlesのおかげで、高く買い取ってもらえたが、淋しかった。

iPodを買って、また音楽を聴き始めた。郷愁にひたるのが嫌で、昔の曲は聴きたくなかったのに、CMで流れた「Across The Universe」のフレーズが頭から離れず、とうとうAmazonで「Let It Be」のオリジナル盤を買っしまった。

出張の新幹線の中で、iPhoneで「Let It Be」を夢見ごこちで聴いている

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神戸大の金井先生の「仕事で「一皮むける」」を読んだ。「大きな器が作れるかどうかは、節目に一皮むけてこれたかどうか」にあるという。様々な一皮むけた体験談が興味深い。

ここで、自分の「一皮むけた体験」を振り返ってみよう。

技術者入社の私は3年目に営業プロジェクトで訪問販売の小売を約1年体験した。営業所のバンに乗せられて、団地に連れて行かれ、アパートを片っ端から訪問するのだ。ドアは開かなかった。顧客獲得の難しさを実感した。同時にお得意様ができるととても助けられる。お得意様の大事さも実感した。これが最初の一皮むけた体験である。

2つ目の一皮むけた体験は、ある商品ジャンルの新コンセプト商品の開発プロジェクトへの参加だ。

この商品は高収益で主力商品だったが、市場は縮退していた。商品文化ができていて新コンセプトへの抵抗は強かった。それまでは一人で仕事を担当していたがチームで仕事をすることになった。チームをまとめたり、上しか見ていないリーダーに意見したりした。新コンセプトも取り入れた。「お客さま第一に考える」をポリシーにした。この体験でプロジェクトで仕事をする方法を体得した。この時のメンバーは後に力になった。

3つ目の体験は、偉い人の(たぶん)思いつきによるリーダーと私の二人だけのプロジェクト。

海外でうまくいかない教育事業に代わる新提案をしろという漠然としたテーマ。技術者の私には思いもよらない仕事。二人で海外拠点を回って調査、議論し、1)通信教育、2)大人対象の趣味サークル、3)教習内蔵のハードの3つの提案をした。ところが報告会の後指示がこない。3ヶ月間、仕事がなくなった。やることがなくなった。やることがないことが辛い事だと痛感した。この体験でプレゼンテーションを学んだ。英語が少しだけ身についた。3つの提案は今の仕事に生きている。

3つ目の体験は、新規ビジネスモデル提案だった。進展しなかった理由を考えてみよう。

1)経営者に対しては、具体的な成果や数値、大きなビジョンを明解にわかりやすく提示しなければならなかったということ。
2)巻き込んでいく人たちを提案策定の段階から参画させて熱い思いを共有しておかなければ、引き継いでもらえないということ。
3)提案の実行部隊を自ら準備しておかなければ、進まないということ。

当時は勉強不足だったし、若さの気負いがひとりよがりの提案になっていて、共感を得られなかったと思う。

4つ目の体験はあるカテゴリーのハード商品群のチーフプロデューサーになった時だ。

ハードの商品開発はモデル毎にプロジェクトになっていてモデルプロデューサーが仕切っていた。そのモデルプロデューサーを束ねる仕事だ。抜擢してくれた上司の期待に答えたい気負いと成功体験の自負が空回りさせた。実はハード開発もリーダーシップも無知だった。開発のステップも、関わる部門も、段取りも、メンバーの特性も、情報の集め方も、何も知らなかった。それなのに人に聞けなかった。一人で探して時間ばかり浪費した。やがて悪循環に陥る。社内調整やトラブル対策に奔走した。人に頼めなくて仕事をどんどん抱えてしまった。そうなると、なぜか重要じゃない仕事やウェブの閲覧などに逃避してやるべき仕事は山積みになって溜まっていった。本を読む時間も勉強する時間も無くなり仕事は硬直した。

上司との定例会は自分の無知、仕事の硬直を指摘される会になり毎回が苦痛だった。部下のモデルプロデューサーは自分が主催する連絡会議を無断で欠席するようになった。もっと大きな絵を描けと上司にビジョンを求められたのに、ビジョンが描けず、現状をただ、クリップアートを並べてまさしく単なるお絵書きをして、呆れられた。悪循環は上司が気づいて仕事の範囲を減らしてくれて断ち切れた。しかし自分はそれに報えず新事業の社内公募に応募して逃げ出した。

4つ目の体験から学んだことは
1)わからないことは見栄を張らずに聞くこと。わかるまで聞くこと
2)タイムマネジメントをしっかりすること
3)できないことは断る勇気を持つこと
4)常に勉強して外の知恵を吸収して活かすこと
5)リーダーは自分で仕事を抱えないでメンバーのケアに時間をさくこと
だ。

これらは今でも心がけるべき基本だと思う。

さて、新事業の社内公募には受かって、東京の職場へ異動した。ここでマネジャーとなり、また一皮むける体験をする。

東京の良いところは
1)濃い情報収集が可能になったこと
2)社外の人との交流機会が増えたこと
3)優秀な人材を集めやすいこと
4)電車通勤の時間が自分の時間として有効に使えること
5)刺激が多く新しい体験ができること
である。

新しい職場はウェブを核とした新規事業のインキュベーション部隊だ。新しいことだらけで日々是学習。そこでマネジャーとなり、リーダーシップも技も学ぶようになった。

ウェブの業界は若いベンチャーが多い。若い優秀な人たちとの交流は刺激的だ。その縁でセミナーで講演する機会を得た。若い人たちの力になれることは心地よい。新しい出会いは楽しく、力になる。金井先生も「立場や年齢を超えて相手を大事にしあう関係になれば、人間関係という一生の財産が築ける」と書いている。ギブアンドテイクではなく、ギブアンドギブで大事な関係を続けることが大事なのだ。歳の違いを盾にせず、まっすぐにコミュニケーションしたい。

マネジャーになって、それまでの「オレが、オレが」という一匹狼から、メンバーをケアしてモチベーションを保ち、自分の夢を「世代を超える夢」として実現したいという境地になった。俯瞰して考える事、さまざまな人脈を持つ事の重要さを学んだ。

金井先生は、リーダーはそれぞれの「一皮むけた体験」をもっと若い世代に対して話していくべきだと述べている。語ることで、
1)これこそ私だというアイデンティティ感の発展と維持
2)自分らしく人生を生きるためのガイドラインの提示
3)人生のカオス、混乱期に対する秩序付け
4)物語の聞き手が生じることによるエンパワーメント
という4つの効果があるという。私もそう思う。体験談が自慢話ではなく、若い世代に自分の夢を託すときに、役立つ体験談となるように伝えていくべきであろう。こうして自分の体験を書き出してみて、果たしてそういうものになっているのかは疑問だが、想いは伝わるのではないかと期待している。




(このブログは2004年12月に10回に渡って書いたものをひとつにまとめまて、追記しました。)

今興味があるのは「ブログマーケティング」。

2000年からWebの仕事を始めて1年ごとに新しいコトに興味を持ってきた。

2000年はとにかくサイトを立ち上げること。学ぶことばかりで楽しかった。

2001年は、立ち上げたサイトのページビューの伸び悩みで策を練っていた時に見つけた「ユーザビリティ」。新進気鋭のユーザビリティコンサルタントと情熱的に仕事をしてサイトをリニューアル。ページビューが伸びた。

2002年は孤軍奮闘する新規事業企画者を助けるために挑戦したWebを活用した「プロシューマー開発」。新企画は顧客パワーで商品化を実現した。

2003年、Yahoo!BBのおかげで遅れていた日本のブロードバンド化が進み、満を持して始めた「eラーニング」。

2004年はいち早く教えてもらった「SNS(ソーシャルネットワークシステム)」。コミュニティサイトのリニューアル時に導入して、アクセス数が一気に伸びた。

2005年は「ポッドキャスティング」かな。この年はつらかった。事業企画の難しさと自分の無力を痛感した。

2006年は新たなミッションが与えられ、いまだにドタバタな毎日だが、Web2.0が元気をくれた。2005年の悩みに吹き飛ばし、今興味があるのは「ブログマーケティング」。

技術評論社が出している「Web Site Expert」の#08に私も書かせてもらいました。「WebSig24/7(ウェブシグ・トウェンティーフォーセブン)」というウェブ制作者を中心としたコミュニティのイベントに参加させていただき、えらそうにお話したご縁で、実現しました。関係者の皆さま、ありがとうございました。

「Web Site Expert」はウェブの仕事をしているものとして、とても重宝している本です。いよいよ隔月刊化されるとのことで、うれしいです。


上司は同期の出世頭だった。その仕事ぶりや頭の切れの良さ、細かいが的を得た指摘は憧れだった。

最初のうちは憧れの人との仕事は誇りだったのに、やがて自分との実力の差についていけないくなった。仕事に集中できなくなった。やらねばならない事をダラダラと後回しにして、やらなくてもいい仕事やネットサーフィンで時間が過ぎた。

遅れを指摘され、クレーム対応や問題対策に走り回っていた。俯瞰して事態を把握すればあたふたすることないのに余裕がなかった。上司に媚びて言いたいことが言えなくなった。自信喪失していった。家庭では子守に翻弄されていた。すべてが空回りだった。

そんな時にネットビジネスを推進する新規部門ができて増員するメンバーを社内募集していることを知った。上司に内緒でこっそり応募した。

別のチームでシーケンサーを開発し好評だった。研究チームではGUIの研究と鼻唄解析の研究をしていた。これらを組み合わせて初心者向けのシーケンスソフトを開発した。これは売れた。

それまでは自分で企画して仕様を考えプロジェクトを組んで仕事をしてきた。ずいぶん好き勝手にやらせてもらった。しかし何時までもそうはいかない。チーフプロデューサーをすることになった。マネジメントの仕事だ。得意なソフトはなんとかなったがハードが解らない。要領が悪く仕事を抱え、チームの人心もつかめずあたふたと空回りの日々が続いた。

LiFE* with PhotoCinema というソフトがある。写真をセットすると音楽付きのおしゃれなスライドショーが作れる。こんなソフトが作りたかった。デジカメが流行り出したころだった。アルバムソフトがいろいろ出ていたが、どれもイマイチだった。音楽にMIDIを使うことで画像と音楽を同期できるようにした。簡単に使えるようにテンプレートを用意して切替えられるようにした。試行錯誤して画像処理した。GUIを研究してユーザーフレンドリーに努めた。大手カメラメーカーのOEMもした。

しかしながらこのソフトは中途半端な仕様となり、売上は低迷した。

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